― Coinbase、Polymarket、Kalshi 型市場が映す 「SpaceXを取引したい需要」
SpaceXのIPOが近づいている。報道によれば、評価額は約1.75兆ドルに達する見通しであり、史上最大級のIPOになる可能性がある。
今回のIPOを巡っては、市場慣行とは異なる固定価格方式や、限られたフリーフロートなども話題になっている。記事を読む限り、SpaceX IPOには極めて強い需要があるように見える。
実際、投資家の間では「買わないと負けるかもしれない」といった声まで紹介されている。
一方で、少し違和感も残った。こうした記事を読んでいる最中に、今度はSpaceXを上場前からショートするための市場や商品が次々と登場しているのである。多くの投資家が買いたがっているように見えるにもかかわらず、なぜショート市場が生まれるのだろうか。
今回は、SpaceX IPOそのものというよりも、その周囲で起きている市場の動きを整理してみたい。
記事の紹介 ― SpaceX IPOには「価格を気にせず買う投資家」が存在する?
A 価格を気にせず買う投資家が並んでいる?
2026年6月のWSJ記事 “Will Forced Buying Send SpaceX Into Orbit?” では、SpaceX IPOを巡る独特な需給環境が紹介されている。
記事の中でResearch Affiliates創業者のRobert Arnott氏は、SpaceXの評価額について「馬鹿げている(ludicrous)」としながらも、自身の立場が許すのであればIPO価格で購入したいと語っている。その理由として同氏は、「価格を気にしない買い手が並んでいる」と説明している。
記事によれば、Nasdaqは大型IPOを早期に指数へ組み入れる仕組みを導入しており、一部のインデックスファンドやETFはSpaceX株を購入する可能性があるという。
また、SpaceXを保有していないことで、ベンチマーク対比で不利になることを避けたい投資家も存在すると紹介されている。
B 「買わないと負けるかもしれない」プロ投資家
こうした投資家心理を考える上で参考になる記事もある。
2026年6月のWSJ記事 “Your FOMO Is Strong, but Pity Finance Pros” では、個人投資家だけでなく、むしろプロ投資家の方がFOMO(Fear Of Missing Out)に直面している可能性が指摘されている。
記事の中では、著名投資家Stanley Druckenmiller氏が1999年のITバブル終盤を振り返るエピソードも紹介されている。同氏はテクノロジー株の過熱を懸念していたものの、市場上昇が続く中で最終的には巨額のテクノロジー株を購入し、その後大きな損失を被ったという。
記事では、個人投資家であれば市場を見送る選択も可能だが、運用成績で評価されるプロ投資家はそう簡単ではないと指摘している。
C Coinbase、Polymarket、Kalshiも動き始めた
SpaceX IPOを巡っては、投資家心理や指数採用だけでなく、新しい取引市場に関する記事も相次いでいる。
2026年5月から6月にかけて、WSJでは
- “Coinbase Launches SpaceX Pre-IPO Perpetual Futures for Overseas Customers”
- “How Valuable Will SpaceX Get? Polymarket Bettors Have Opinions.”
- “Kalshi Launches First Perpetual Futures in the U.S.”
いずれも、SpaceX IPOの周辺で起きている新しい動きが紹介されている。
Coinbaseは海外投資家向けにSpaceXを対象としたPre-IPO Perpetual Futuresを投入すると発表した。またPolymarketでは、SpaceXのIPO初日の時価総額が一定水準を超えるかどうかを対象とした予測市場が開設されている。さらにKalshiは、SpaceXを対象とした商品ではないものの、米国初となるPerpetual Futures市場の提供を開始した。
巨大IPOが生み出す需給の歪み
A プロ投資家にとって最大のリスクは「買うこと」ではなく「買わないこと」だった
機関投資家の世界では、必ずしも「買うか買わないか」を自由に選べるわけではない。もちろん最終的な投資判断は各運用担当者が行う。しかし、その判断は企業価値だけで決まるわけではない。
「ベンチマークとの比較」「競合ファンドとの比較」「顧客への説明責任」
運用担当者は常にこうした環境の中で意思決定を行っている。 そのため、市場によっては 「買って失敗するリスク」よりも、「持たずに取り残されるリスク」の方が大きくなることがある。
今回のSpaceX IPOは、その構造が極端な形で表れているように見える。約1.75兆ドルという評価額に対して、誰もが割安だと考えているわけではない。 実際、WSJ記事で紹介されたResearch Affiliates創業者のRobert Arnott氏は、SpaceXの評価額を「馬鹿げている(ludicrous)」と表現している。それにもかかわらず、同氏はIPO価格で購入したいと語っている。
ここで重要なのは、評価額に賛成しているかどうかではない。むしろ、「高いと思っていても買わざるを得ない投資家が存在する」ことである。
今回の記事群では、Nasdaqによる早期指数採用やインデックス資金による需要も繰り返し語られていた(知識ボックス③参照)。
それらに共通しているのは、「SpaceXが上がったときに持っていないリスク」である。
WSJ記事 “Will Forced Buying Send SpaceX Into Orbit?” では、このような状況を “schmuck insurance” と表現している。直訳すれば「馬鹿に見えないための保険」である。少々辛辣な表現ではあるが、今回の記事群で語られている投資家心理をよく表しているように思える。 SpaceXが大きく上昇した場合、説明を求められるのは保有していた運用担当者ではない。保有していなかった運用担当者だからである。
今回の記事群から見えてくるのは、SpaceXの企業価値だけではない。 機関投資家の世界では、「何を買うか」だけでなく、「何を持たないか」もまた重要な投資判断になるという構造である。
B それでもSpaceXをショートしたい投資家は存在する
Aで見たように、今回の記事群では「持たないリスク」が繰り返し語られていた。しかし、それは市場参加者全員がSpaceXを強気に見ているという意味ではない。 ここで重要なのは、 「買いたい人が多いこと」と「割安だと思われていること」は必ずしも同じではない ことである。
Aで見たように、機関投資家の中には、評価額を高いと考えながらも、「持たないリスク」を意識して購入を検討する投資家も存在する。そうであれば、その反対側で「高すぎる」と考える投資家が存在しても不思議ではない。また、保有する一方で価格変動リスクの一部を抑えたいと考える投資家が現れても不思議ではない(知識ボックス④参照)。
さらに今回のSpaceX IPOでは、市場で流通する株式が企業価値全体に比べて限定的と見込まれている(知識ボックス①参照)。そのため、ショートポジションは単に弱気投資家のためだけではなく、フロート不足の中で実質的な株式供給を補う役割を果たす可能性もある。
今回の記事群から見えてくるのは、SpaceX IPOを巡る熱狂の裏側で、市場参加者の需要が一枚岩ではないことである。ある投資家は持たないリスクを恐れ、ある投資家は割高感を取引しようとし、別の投資家は価格変動リスクを抑えようとしている。
「持たないリスク」を意識する投資家がいる一方で、「高すぎる」と考える投資家や、価格変動リスクを抑えたい投資家も存在し得る。
その意味で、SpaceX IPOは一方向の熱狂ではなく、異なる思惑が交錯する市場として見ることもできる。
C Coinbase、Polymarket、Kalshiは何を見ているのか
AとBで見たように、今回のSpaceX IPOでは、強い買い需要の一方で、割高感を取引したい需要、価格変動をヘッジしたい需要、現物株以外でエクスポージャーを取りたい需要も生まれているようだ。
ここで注目したいのは、Coinbase、Polymarket、Kalshiが相次いでSpaceX周辺の商品や市場へ参入していることである。もちろん、それぞれの商品性は異なる。 しかし共通しているのは、 SpaceXそのものではなく、SpaceXを取引したい需要へ注目しているように見える点である。
市場運営者の立場から見ると、重要なのはSpaceXが割高かどうかではない。 重要なのは、取引したい人が存在することである。
今回の記事群では、「持たないリスクを意識する投資家」「高すぎると考える投資家」「価格変動リスクを抑えたい投資家」が同時に描かれている。その結果、SpaceX IPOは単なる株式上場ではなく、多様な取引需要が集まる市場にもなっている。
Coinbase、Polymarket、Kalshiが見ていたのも、SpaceXそのものというより、 「SpaceXを取引したい需要」だったのかもしれない。
Bloomberg Money StuffのMatt Levine氏は、“Get Your SpaceX Bets in Now” の中で、こうした市場が将来的に未上場企業の流動性や価格発見へ発展する可能性についても論じている(知識ボックス②参照)。もしそうなれば、今回のSpaceX IPOは単なる大型IPOではなく、未上場企業の取引方法そのものが変わり始める過程として読むこともできるのかもしれない。 もちろん、そのような市場が定着するかどうかはまだ分からない。しかし今回の記事群からは、巨大IPOが企業価値だけでなく、新しい市場そのものを生み出す可能性も見えてくる。
日本の若手金融マンへの示唆
今回の記事群から見えてくるのは、SpaceXの企業価値そのものよりも、その周囲で起きている市場の動きである。一般的にIPOというと、「その企業はいくらの価値があるのか」という議論になりやすい。もちろん、それは重要な論点である。
一方で今回の記事群では、それとは少し異なる景色も見えてくる。 「買いたい人が多すぎる時、市場は新しい売り手や新しい取引手段を作り出そうとする。」
Aで見たように、「持たないリスク」を意識する投資家が存在する。Bでは、その反対側で「高すぎる」と考える投資家や、価格変動リスクを抑えたい投資家が存在する可能性がありそうだ。そしてCでは、その需給そのものを取引対象として捉える市場運営者の姿が見えてきた。
金融市場では、企業価値だけでなく、「取引したい需要」そのものが新しい市場を生み出すことがある。
今回のSpaceX IPOを巡る動きは、その一例として読むこともできるのかもしれない。もちろん、CoinbaseやPolymarketの商品が定着するのか、あるいはMatt Levine氏が論じるような未上場企業の新しい流動性市場へ発展するのかはまだ分からない。しかし少なくとも今回の記事群からは、巨大IPOが単なる資金調達イベントではなく、新しい市場や金融商品の実験場にもなり得る可能性を示しているのではないか。
企業分析だけでなく、「誰が買いたいのか」「誰が売りたいのか」「その需給から誰が利益を得るのか」という視点で見てみると、また違った景色が見えてくるのかもしれない。
知識ボックス
① なぜSpaceX株は不足すると考えられているのか
今回のSpaceX IPOで特徴的なのは、企業価値と市場で売買可能な株式数(フリーフロート)の差である。
報道によれば、SpaceXのIPO後の評価額は約1.75〜1.77兆ドルと見込まれている。一方で、市場で流通するフリーフロートは約750億ドル規模とされている。単純計算では、企業価値全体の5%未満しか市場で売買できないことになる。もちろん、IPO直後に全株式が流通することは通常ない。創業者、従業員、既存投資家にはロックアップ期間が設定されることが一般的である。
しかし、大型IPOでは発行済株式の10〜20%程度が市場で流通するケースも少なくない。 例えば、
- Facebook(2012年) 約15%
- Arm(2023年) 約10%
- Instacart(2023年) 約11%
程度のフロートでスタートしている。その意味では、SpaceXの想定フロートは大型IPOとして見ても低い水準と言える。
市場参加者の多くがSpaceX株を保有したいと考えた場合、限られた流通株式へ買い注文が集中する可能性がある。今回の記事群でCoinbaseやPolymarketが相次いでSpaceX関連商品を投入している背景には、こうした需給構造も影響しているように見える。
② Coinbase、Polymarket、Kalshiは何が違うのか
2026年5月から6月にかけて、Coinbase、Polymarket、KalshiはいずれもSpaceX IPOの周辺市場として注目を集めた。 一方で、提供している商品や市場の性格は大きく異なる。
Coinbase:SpaceXの価格変動を取引する市場 Coinbaseは、SpaceXの価格そのものに連動するPre-IPO Perpetual Futuresを提供しようとしている。投資家はSpaceXの価格上昇・下落の双方へポジションを取ることができる。また、SpaceXが上場した場合には、ポジションは上場後の商品へ移行すると説明されている。価格変動リスクのヘッジや投機の両方で利用できる設計となっている。 なお、米国居住者は利用できず、対象は海外投資家に限定されている。
Polymarket:SpaceXの評価額を予想する市場 Polymarketでは、「SpaceXのIPO初日の時価総額がいくらになるか」を予想する市場が開設された。こちらは株価そのものを取引するのではなく、特定の条件が実現するかどうかを予想するイベント市場である。例えば、「1兆ドルを超えるか」「2兆ドルを超えるか」「3兆ドルを超えるか」といったイベント契約が取引されている。 ここで対象となるのはSpaceXの本源的価値ではない。 IPO初日の終値時点で市場がどのような評価を与えるか、という市場参加者の予想である。
Kalshi:Perpetual Futures市場そのもの KalshiはSpaceX商品を提供したわけではない。SpaceX関連商品を投入したCoinbaseやPolymarketとは異なり、同社が立ち上げたのは米国初のPerpetual Futures市場である。 同社は2026年5月、米国でPerpetual Futures市場の提供を開始した。現時点ではSpaceXを対象とした商品は提供していない。ただし、上場前・上場直後の企業や注目テーマをめぐって取引需要が高まる中で、こうした新しい市場インフラが将来的に利用される可能性はある。
3社の共通点は何か 商品性は大きく異なる。 しかし共通しているのは、SpaceXという企業そのものではなく、「SpaceXを取引したい需要」へ注目しているように見える点である。
今回のSpaceX IPOは、巨大IPOが新しい市場や金融商品の実験場にもなり得ることを示しているのかもしれない。
予測市場について詳しく知りたい方へ 今回の記事ではSpaceX関連商品を中心に扱った。 KalshiやPolymarketそのものについては、以下の記事で詳しく整理している。
③ なぜ指数会社ごとに対応が分かれているのか
SpaceX IPOを巡っては、指数会社ごとに対応が分かれている。 S&P Globalは、「上場後1年間の取引実績」「4四半期の利益実績という従来ルールを維持すると発表した。 一方で、 Nasdaqは大型IPOの早期組入れを可能にするルール変更を実施している。 FTSE Russellも大型IPOを数日後から指数へ採用できる仕組みを導入した。
背景には、「巨大企業を早く指数へ反映したい」という考え方と、「上場直後の価格変動リスクを避けたい」という考え方の違いがある。
もっとも、今回の論点は制度論だけではない。指数採用は大量のパッシブ資金流入を意味する。2026年5月時点の公開情報ベースでは、
- パッシブファンド市場全体は約18兆ドル規模
- Nasdaq100連動ETFであるQQQの運用資産は約5,000億ドル規模
とされている。そのため、指数へ採用されれば、インデックスファンドやETFによる機械的な買い需要が発生する可能性が高いと考えられている。 SpaceXのようにフリーフロートが限られる企業では、この買い需要そのものが市場参加者の関心事になる。
今回の記事群では、SpaceX IPOが単なる企業の上場ではなく、「巨大未上場企業を市場インフラへどう組み込むのか」という問題にもなっていることがうかがえる。
④ なぜショート需要が存在するのか
多くの記事ではSpaceX IPOへの強い需要が語られているにもかかわらず、なぜショートできる商品が必要なのだろうか。考えられる理由はいくつかある。
(a) SpaceXは割高だと考える投資家 約1.75兆ドルという評価額は、市場から高い期待を受けていることを示している。 一方で、IPO価格や上場後の株価は高すぎると考える投資家も存在し得る。 そのような投資家にとっては、SpaceXの株価下落に賭ける手段への需要が生まれる。
(b) ロックアップ株主によるヘッジ需要 SpaceXの既存株主や従業員の多くは、上場後もしばらく株式を自由に売却できない可能性がある。 一方で、保有株式の価格変動リスクを抑えたい投資家が存在しても不思議ではない。 この場合、ショートポジションは投機ではなくヘッジとして利用される。
(c) フロート不足がショートポジションの価値を高める可能性 今回のSpaceX IPOでは、企業価値約1.75兆ドルに対して、市場で流通する株式は限定的と見込まれている(知識ボックス①参照)。 そのため、強い買い需要が集中した場合、現物株式だけでは十分な供給が行われない可能性もある。
2026年6月のBloomberg Money Stuff “Get Your SpaceX Bets in Now” において、Matt Levine氏は、このような状況ではショートポジションが、実質的に新しいSpaceX株式の供給源として機能する可能性に触れている。 もちろん、実際の株式が増えるわけではない。 しかし、デリバティブ市場を通じて反対ポジションが作られることで、投資家は現物株式以外の方法でもSpaceXへの価格エクスポージャーを取得できる。
今回のCoinbase商品は、単なる投機商品としてだけではなく、こうした需給構造の中で読むこともできる。
(編集部より) あわせて読むと理解が深まる記事
参照記事
2026年6月2日 The Wall Street Journal
“Will Forced Buying Send SpaceX Into Orbit?”
2026年6月4日 The Wall Street Journal
“Your FOMO Is Strong, but Pity Finance Pros”
2026年6月4日 The Wall Street Journal
“Coinbase Launches SpaceX Pre-IPO Perpetual Futures for Overseas Customers”
2026年5月29日 The Wall Street Journal
“Kalshi Launches First Perpetual Futures in the U.S.”
2026年5月21日 The Wall Street Journal
“How Valuable Will SpaceX Get? Polymarket Bettors Have Opinions.”
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